歌詞で妄想していいですか?~「君しか勝たん」~

 5月26日に日向坂46の5thシングル「君しか勝たん」が発売されました。ということで、この曲について少し考えてみたくなったのでこんな文章を書いてみたいと思います。個人的に抱えている「君しか勝たん」の一番の謎ポイント、ウラララ~♬の部分の違和感をなくすことが今回の目標です。

※今回この文章を書くにあたって、「君しか勝たん」に関する他の方の考察などは見ておりません。ですので被りなどがあったら誠に申し訳ございません。ロゼはどう考えたのかな?くらいの軽い感じで読んでもらえると幸いです。

※細かい色々はどうでもいい。とりあえず歌詞がどういうことなのか知りたい方はストーリーと書いているところまで飛んでください。

 

 これから色んな曲で妄想していきたいので、まず、考えるにあたって前提条件を揃えましょう。「君しか勝たん」に限らず歌というものは音楽と歌詞で基本的には出来ていると思います。歌について特別勉強しているわけではないので、間違っていたらごめんなさい。歌は音楽と歌詞が合わさっていることを考えると、どちらか片方だけに注目するのはとてもナンセンスなように感じられます。ですが、私には音楽に関する知識がほぼ皆無に近いので、今回はその要素は除外して考えたいと思います。

つまり、今から歌詞について考察するけど、音楽の要素も加えたら全く別の見え方がするかもしれないということです。

 

また、歌詞に注目すると言っても注目の仕方はたくさんあります。少し例を挙げましょう。

 

➀「君しか勝たん」という曲単体で注目する

➁「君しか勝たん」を日向坂46の楽曲の一つと捉えて、日向坂46の中で「君しか勝たん」がどんな立ち位置にある曲なのか、他の楽曲との関係性や連続性、日向坂がこれを歌う意味など日向坂というレンズを通して「君しか勝たん」に注目する

➂「君しか勝たん」を秋元康氏の創作物として捉えて、秋元康氏の中で「君しか勝たん」がどんな立ち位置にある曲なのか、他の秋元氏の創作物との関連性や連続性など秋元康氏というレンズを通して「君しか勝たん」に注目する

 

 ➁の例としては日向坂46の表題曲、リード曲には連続性があるという話を聞いたことがあるのですが、だぶんこれがあたると思います。

ここでは一例を挙げましたが、端的に言えばどのような視点で「君しか勝たん」を見るかという話です。別にそのレンズはなんでもいいんです。坂道グループの楽曲として、アイドルの曲として、令和のJpopとして、「勝たん」などの若者言葉を楽曲名に含む曲として、etc.

考察した人がそのレンズで注目出来ると思えば、それが説明できれば本当に何でもいいんです。でもそのレンズに含まれるものが多ければ多いほど、まとめるのが難しくなるので注意が必要です。加えて、➀のように曲単体で注目するからと言って、日向坂46が歌っているということを無視しなければわけじゃないので、まぁ自分の考えが伝わるように、上手いように考えていけばいいわけです。

 

 話が脱線しました。とりあえず私は基本的に、曲単体に注目していきます。ちなみにここに書かれていることは本当に妄想です。一解釈として楽しんでください。

 

では本題に入りましょう。この曲を字面だけで読むとこんな話になるんじゃないでしょうか。()内は歌詞内の大体の位置 歌詞での位置を指す言葉として間違いがあったらごめんなさい。

 

➀女の子を好きになる (1番、1番サビ)

➁その女の子と付き合って気持ちに余裕ができ、よそ見をしてしまう(浮気?)(2番)

➂よそ見した人を好きになってしまったのか、彼女に「友達に戻ろう」と別れを告げる。そしたら切なそうにないてしまう(2番サビ、曲初めのサビ、大サビ)

➃失ってやっぱり好きだったと気付く(大サビ前)

 

私の感想としては男の子が結構クソですね。そして大切な友達だから友達に戻れると思った。やっぱり好きだと気付いたのに、なぜ女の子が悲しんでいるシーンで終わらせるという2点が謎すぎます。

だけど日向坂がこんな浮気の歌を表題で歌うわけがない!(オタク

ということでここからが私の考察です。結構話が飛躍します。頑張ってついてきてください。

この曲において1番のサビが終わるまでは、何もおかしいところはないでしょう。(曲初めのサビは時系列的に後なので除く。)

最初の謎はよそ見をした男の子(主人公)の心情です。私にはどこまで許されるか試す理由が全く分かりません。では、この心情を紐解くために欅坂46の楽曲を引用しましょう「コンセントレーション」です。「コンセントレーション」と「君しか勝たん」の関係性についてはツイッターで指摘されている方もいらっしゃいましたが、2つの曲における男の子の状況が似ており、「コンセントレーション」では男の子の心情がよく描かれています。ちなみに「コンセントレーション」では彼女があんまり愛情表現をすることが好きじゃないと思っていた男の子は、それで彼女にフラれそう?そこまでいかなくても終わりを迎えることを予期してる男の子の心情を歌っています。「君しか勝たん」との類似点としては、彼女が愛情表現をたくさんされることを嫌うと思ってたので「羽を伸ばした」というところがあり、それが「よそ見した」とほぼ同義だと考えられること、またそれによって心が離れてしまっていること。加えて、これは主観的にはなってしまいますが、男の子から彼女への愛が結構大きめに描かれていることが挙げられます。逆に相違点としては、また男の子が彼女とやり直そうとしていることが挙げられます。そして「コンセントレーション」では「少しだけ愛を休んでも誰も困らないはずだった」や「半端な気持ちじゃなかったけど ごめん どこか浮ついてた」と書かれていて男の子の「よそ見」は浮気ではく、ただ心が浮ついていただけだと分かります。これを「君しか勝たん」の男の子も全く一緒ではなくても似てるんじゃないかと捉えれば、男の子の気持ちはクリアです。

 

次は曲名の「君しか勝たん」についてです。これが残りの謎の一つである「なぜ友達に戻れると思ったのか」を解決してくれます。

「君しか勝たん」この言葉を恋人に使うのはどこか違和感がないですか?推しに対して使うのはもちろん違和感がないと思いますが、ふざけてでもいない限り恋人に使うのはなんか軽い感じがするし、歓迎されないと思います。それに言われても嬉しくないと思いますし。ちなみにここが納得していただけないと私の論は受け入れられないものになると思います。だからドキドキさせながら今ここを書いていたりします。

少し話がまた脱線しましたが、つまり「君しか勝たん」は恋人に対する愛情表現としてはそぐわないわけです。となると先ほどの番号で言う➂までの気持ちは、真面目な恋愛としての好きというという気持ちじゃなかったということになります。もう少し言い方を柔らかくするなら、その好きは恋愛感情としての好きではなく、推しとしての好きだったわけです。それを踏まえて考えると、推しのことを困らせたいと考えて、握手会やミーグリで他のメンバーの所に行ってきたと推しメンに報告するファンの方もいるくらいですから、「よそ見」したのも納得できると思います。男の子は形式的には付き合っているわけですから恋愛をしているという認識はありましたが、心の中ではその形式まで追いつかず推しとしての純粋な好きにはなれなかったとまとめましょう。

 

ここで考えなきゃいけなくなったことがありますね。「推しとしての好き」と「恋愛感情としての好き」にはどんな違いがあるのでしょうか。たぶん、これをきちんと書いたらそれだけでブログが一つ書けてしまいますね。推しでもガチ恋の方もいらっしゃいますし、考え方、気持ちは一概に言えないので難しいですが私の意見をここで書きたいと思います。私は「推しとしての好き」と「恋愛感情としての好き」には4つの違いがあると思います。と言いたいところですが「推しとしての好き」と「恋愛感情としての好き」だと長いので、一般的に取り上げられる問題に合わせて、「推しとしての好き」を「好き」。「恋愛感情としての好き」を「愛してる」と定義します。(言葉としての好きは「」でくくらずに好きとします。)

➀相手と釣り合いが取れている思っているか

➁自己開示できるか

➂一線を越えられるか

➃好きに責任を持っているか

➄マイナスな感情も抱えているか

➀はアイドルと付き合っていることが想像しにくいように、相手と自分が釣り合っていないと思えば、人はその自分の好きな気持ちと真面目向き合わずに、推しとしてとどめると思います。➁は自分のマイナス面を相手に開示したり、相手に開示してもらったりすることができなければ、相手との関係性は深まらず信頼関係も構築されません。つまり自分をよく見せようとするだけの状態ではただの「好き」になってしまうのです。➂はそのままキスや体の関係を持てるかということです。➃は好きという言葉は推しに対しては一方的な感情でいつその想いを取り下げようが本人の自由ですが、それが普通の人となれば相手は自分の好きという言葉を受け取って考えるわけですから、そう簡単になかったことにはできません。推し変は出来ても、好き変は出来ませんよね。そういうことです。ちなみに➃が「君しか勝たん」において一番大切な要素だと思います。➄は個人的に「好き」と「愛してる」を比べる上で、一番大きな要素だと思っていて、「好き」はその中に基本的にプラスの感情しかありません。アイドルを好きで辛いなんて話はあんまり聞かないんじゃないでしょうか。逆に「愛してる」はもちろんプラスな感情もありますが、その他に嫉妬や不安といったマイナスな感情も抱えてしまいます。加えて「好き」にはある程度の際限がありますが、「愛してる」には際限がありません。求めれば求めるほど幸せと同時に苦しみも生まれてきます。

これを「君しか勝たん」に当てはめて改めて考えると、➂は少し主旨とずれるため排除して➀はよそ見できるくらいだから釣り合って入ると思ってそうなのでクリア。➁は記述がないので保留。➄も記述がないので保留。➃は確実に欠如していると言えます。なぜなら好きという言葉に責任を持たずによそ見をしているからですね。このことからも男の子の持っている感情は「好き」という推しに対する感情だと言えるわけですが、これを踏まえると「だって一番大切な君だから、ちゃんともう一度友達に戻れるってそう思ってた」という歌詞の真意も見えてきます。先ほども述べた通り、男の子の好きは「好き」であり、そこに責任を持つ必要のないものと意識的なのか無意識的なのかは分かりませんが思っています。そうなるとその好きの言葉は簡単に取り下げられるため、こんなことが思えたわけです。通常好きという言葉が一度交わされた二人の間柄が、何も変わらずに友達に戻れるわけがありません。仮に友達に戻れたとしても、その間柄は好きという言葉が交わされた以前と以後では明確になにか違うはずです。でもそれも、その好きの重みが違えば話が変わってくるのでしょう。まぁ、この話は別れた後友達に戻れるか問題という結構大きめな問題に繋がるため、ここら辺にしておきます。

 

ここまで男の子の気持ちはずっと「愛してる」ではなく、「好き」であることを指摘しましたが、その気持ちが「好き」から「愛してる」にあるところから変わるんです。そう大サビ?ラスサビ?の「Mnday~」からの所です。「今初めてこんなに愛してることわかった」という歌詞から分かるようにここで初めて男の子は彼女への想いが「好き」ではなく、「愛してる」であることに気付くわけです。ちなみに私が今回の話で「好き」と「愛してる」を区別した理由としたのも歌詞のこの部分からです。ここでは明白に「初めて」という言葉が使われています。歌詞の中には好きという言葉は連発されていますから「愛してる」は別種のものとして捉える必要があるわけですね。そしてこれに関連して、ここで注目すべきところがも一つあって1番のサビで「これ以上好きになれるかな」と言っているので男の子は彼女を好きであることには気付いています。実はここから大事なことが分かって、この私の文でもややこしい「好き」「愛してる」問題ですが、歌詞の中でも区別されているとここまで理解していただけたら、分かると思います。この曲をややこしくさせている原因は『好き』という言葉のあいまいさです。好きと聞くと「好き」も「愛してる」もひっくるめて考えてしまいますが、この曲におけうる好きは「好き」を指しています。そうして歌詞を見ていくと曲が明瞭になってきます。また少し脱線しますが、男の子の好きは「好き」だと導き出しましたが、「気付いた」という表現を用いるなら、実際は「愛してる」だったけど男の子が勘違いして「好き」だと思っていたことになります。皆さんはそうだと思いますか?私の意見としては結構半々です。何故なら「好き」と「愛してる」を別物として考えている私としては流石に気付くだろって思います。しかし反対に男の子は相当鈍感です。「未来があったし、誰かが待っていた」という歌詞から男の子は今までこれ以上、最低でも同じレベルの人が待っていると信じているから過去を振り返ってこなかったわけですが、1番サビで「これ以上夢中になれるかな」と思います。これはどう考えても自分の人生の中で最高の人かもしれないと思っているのに、それが「愛してる」なのでないかとは思いません。こんな鈍感なら別れてから気付いてもおかしくないように思うんです。それによそ見しましたしね、それを「愛してる」って言うのはちょっとなぁって思わなくないです。

では次でラストです、何故泣き顔で終わるかという謎についてはストーリーを追いながら解決します。

 

ストーリー

ここまで整理出来たら、最後に歌詞をストーリー仕立てにまとめましょう。

 主人公の僕は今まで何度か恋愛をしたことがある。どれも大事な恋愛だったけど、振り返ったりはしないタイプだ。何故かって?確かに好きだったけどもっと素敵だったり、もっと僕が好きになれる人が僕の人生の先にいる気がしたからだ。今まで付き合ってきた人は学校の人だったんだけど、社会という広いコミュニティからしたら学校なんて極々狭い世界だろ。だからそんな気がしてたんだ。そう君と会うまでは。

 出会った瞬間ビビッてきたとかそういう運命的なものではなかったんだけど、どうしても君に惹かれて仕方なかった。君の仕草とか表情とかどれも好きで、胸が躍るし、キュンって音が自分から何回もした気がした。こんなこと初めてで思っちゃったんだ。”君以上に好きになれる人が今後現れるのかな”って”君しか勝たん”って

それからは結構とんとん拍子で話が進んでいった。グループで遊びに行ったあと、今度は二人で遊びに行ってそのまま告白して付き合った。すんごく幸せだった。

 でもなんでだろう。本当に君が僕を愛してくれているか試してみたくなったんだ。今考えればすごく馬鹿げてるんだけどね。君の目の前でよそ見しみたり、女の子わざと話してみたりした。それでそんなことしてたら本当に君のことを僕は好きなのか、君は僕を好きなのか分からなくなっちゃて、ついに君を呼び出してしまった。

 別れを告げたら、君は瞳いっぱいに涙をためて、泣かないように我慢していた。そんな切ない顔させたくなかった。僕はその涙を見て、やっぱり君は僕のことが好きなんだって安心するべきだったのかもしれない。だけどその時の僕にはそんな余裕なんてなかったし、もしそれに気付いても、もう引っ込みがつかなかったと思う。僕はただ「ごめんね」と謝り続けた。全部僕がいけないと自分を責めながら。でもこうやって別れても変わらなかったことが一つだけあったんだ。君との思い出は今までの思い出の中で一番熱かった。そう僕の記憶の中では”君との思い出しか勝たん”って状態で結局のところ”君しか勝たん”って思ってたんだ。

 それからしばらくして、僕は満たされない気持ちに襲われていた。寂しさとは違う、その何かが足りない感じに。今までの彼女と別れた時にはいつも寂しさだけが襲ってきて、足りない感じなんて感じることはなかった。たぶんそれは今までの人には失礼かもしれないけど、未来にまだ僕を待ってくれている、いい人が素晴らしい人がいるって信じられていたからだと思う。でも今は全くそんなこと信じられない。そして君はもう僕の一部だったことに気付いた。そしてこれが世にいう「愛してる」だとも気付いた。この先の僕の人生に君以上の人がいるなんて信じられなかったんだ。

 あのお別れから2週間、また君を同じ場所に呼び出す。君はなんで呼び出されたか、全く分かっていない様子だ。僕はまた告白した。君が僕をどう思っていようと君に今の僕の想いをぶつけると決めて僕はここにいた。すると君はあの時のように瞳いっぱいに涙をためて、泣かないように我慢する。そんな切ない顔をしないで欲しい、あのお別れを思い出してしまうから。でも結局今回の涙も全て僕がいけないんだ。君がうれし涙を流したのは僕の告白のせいなのだから。君は小さな声で「もう離さないでね」って言った。やっぱり君の一挙手一投足に惹かれてしまう。僕にとってもう”君しか勝たん”って状態なんだ。それは君個人がどうとかじゃなくて、僕の人生においてもう君以上の女性は現れないし、僕の人生においてはそう本当の意味で、一過性のものではなく”君しか勝たん”なんだ。

 

どうだったでしょうか?納得できるものだったでしょうか?最後が泣き顔で終わるのはうれし涙だと私は解釈しました。加えて復縁したなら最後は「ウラララ~♬」で締めてもいいですよね。

最後に書きたいのはこの歌詞における、「君しか勝たん」という言葉の意味の変化です。「君しか勝たん」という言葉は初め、君がNO.1という意味で使われますが、最後には君がOnly.1という意味に変わります。言い方を変えるなら「君しか勝たん」という言葉の背景にあるものが今現在という無常のものから人生変わっています。今現在だったら今後の人生で更新される可能性がありますが、人生においてだったらもう更新されませんからね。これはもう言葉に責任を持たざるをえなくなります。結局は日向坂のシングル曲に見られがちな行き過ぎた好き表現というのは変わらないのかもしれないと思いました。

 

たぶんツッコミどころもたくさんあったと思いますが。そろそろ書くのも疲れてきたので、今回はこの辺りで…