夏恋memoryと僕の考えてること

ブログを開いていただきありがとうございます。良ければ最後まで読んでください。

 

突然ですが、僕は作品を書く時に意識していることがあります。

それは読者さんを意識することです。

結局この作品を読んでもらってどんな気持ちにになって欲しいか、どんなことを考えて欲しいか。それを考えています。

これは堅い小説のようなものでもイチャイチャするような話でも同じです。きちんと着地点を見据えて書いています。それは自分というものが含まれない作品は個人的に価値がないと思っているからな訳ですが、まぁ話が長くなるので聞きたい人がいればまた後日書いてみます。

 

今回においてはこの作品を読んで夏らしさ、嘘、大切なもの、記憶の形とかまぁなんとなく考えて貰えれば結構です。特にこれ!っていう大きなものは今回は据えませんでした。

節々にある僕の考えと大切なものに気付いていく久保史緒里さんを見てもらえていればもう十分ですね。

 

何故、今回大きなテーマを据えなかったかというと物語の中核を担うものとして既に相貌失認という障害があったからですね。ここに強いテーマを付け足すと油っこくなってしまいそうだったのでやめました。

 

精神的に成長していくストーリーという所から今回はわかりやすい比喩や擬人法を多用してみました。なんか現代文で問われそうな雰囲気で作ってましたね。本当は1つ1つここはこういう意味だよ。って書いていったら分からない方に少しは伝わるのかもしれませんが、膨大すぎるので今回は辞めておきましょう。

 

意識したことは他にもあって一つは断片的な書き方をしたことでしょうか。少し足りない。そんなイメージです。少しずつ自分の頭で補完していけば楽しめたと思うのですがどうでしたかね?

 

今回の話はこの文量にしてはセリフが少ないと思います。久保史緒里さんはたくさん、そして色々なことを考えています。それもなにか特別なことからじゃなく、今これを読んでいるあなたの周りにもあるようなことで。

 

僕の考え方として何か特別なことから学ぶことは普遍性がないと思うんです。だからありふれたものからありふれたものに気付く、また学ぶ。そんなことをこの作品では意識しています。

 

非日常の世界の物語は娯楽にしかなりません。これはそのような物語を否定する訳ではなく、この世界とは切り離されてしまうと言ったらわかりやすいかもしれません。だから僕は出来るだけ日常から作品を生み出したり、切り取ったりしたいんです。

 

何気ない日常から描かれる作品は華やかな話にはなりにくです。ですが飛躍しない世界観は何か自分の胸にくるものがあるはずです。

 

話は戻りますが、オチも今回ははっきりさせました。いつも僕の作品を読んでくれている方は珍しいなぁと思っていただけたことでしょう。

当初何もしらない〇〇が史緒里に夏の思い出を話していて、その時に史緒里の頬についたまつ毛を取ろうとして頬を触った瞬間に何かを悟って終わらせようとしてたんですけど、後々今のオチを思いついてこうしました。

 

話は変わりますが僕はなんとなく久保史緒里というメンバーを純粋な優等生で書くのが好きではありません。表面上は優等生せいでも心は少し悪いことを考えていて、でも結局は悪にはなれないって感じを僕は受けてしまうんです。だから今回も少し悪いことを考えるシーンから始めました。

 

書き方の話になってしまいますが、最後のお祭りのシーンはセリフあ意識して少し増やしました。長いので多いのは当然なのですが、言葉を交わすってことはそこに想いがあります。夏の終わりが近付いて想いが強くなってる感じが2人にはあります。

 

そして今回の話では〇〇が何を思っていたのか最後のシーン以外は1つも分かりません。他の視点から見たらこの物語は全く違う話になっていたかもしれません。なんなら〇〇が可愛い仕草の久保史緒里を見て、照れているっていう安っぽい話になっていたかもしれません。誰の視点で進むのかそれはすごく重要です。

 

総じて言えることなのかもしれませんが、この話は雰囲気を楽しんだ方がいいのではないかと思ってます。深く考えたくなるようなものはありませんが、色々と思考を巡らせているので考えるよりもいいかもですね。

 

ごめんなさい。今更自分の思いを文字にするのが苦手なことに気付きました笑

 

書きたいことがこの作品だけのことっていうより、僕の書く中編に通じて言えることなのでなんかここで書くのは違うかなって思い始めたので今回はここら辺で終わりたいと思います。

 

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ということで案外書くことがなかったブログでした。